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魚籃観音(ぎょらんかんのん)

観音の三十三身の一つ。岡山市少林寺の境内に祀られた巨大な石像です。

中国唐代、若者たちが競って求婚した美しい魚売りの女がいました。結婚の条件として『観音経』と『金剛経』・『法華経』の暗唱できる男と結婚するとしました。そして馬という青年に嫁ぐことになりましたが、結婚式に臨んで女は急死してしまいました。葬送した数日後、紫衣の老僧の指示で墓を掘ったところ、そこには女の屍はなく黄金の鎖骨のみが残されていました。実はその女は観音の化身で、この3つの経典を弘めるために出現し、以後、魚籃観音として信仰されるようになったという説話です。

また、宋の洪邁(こうまい)の『夷堅志』には、海州昫山(くざん)に賀という絵師がいました。観音を信仰し、ネギやニラ・ニンニクなどのにおいの強い野菜や生臭いものを一切食べず、日々観音の像を画いていました。ある日、一人の物乞いが籃に鯉を入れて賀に絵を描いて欲しいと依頼しました。すると賀はその物乞いに答えました。

私の家は代々、臭いの強い野菜や生臭い食べ物をを絶ってきた。どうして鯉をもらって絵を描くことができようか。私の家を汚すつもりか。

するとその物乞いが言うには、

あなたは好んで観音の絵を描いてきましたが、未だその真の姿を描いていません。私はあなたのためにその真の姿を見せるためにやってきたのです。

それを聞いて賀は喜んで、早速家を清めて物乞いを招き入れました。するとたちまち物乞いは観音の真の姿となりました。賀は弟子を呼んで焼香礼拝し、観音は姿をたちまち消してしまいました。家中には異香が満ち溢れ、どれほどの歳月を経てもその香りは消えず、その後、賀の画名はますます世に知れ渡りました。その時の姿を描いたのが魚籃観音であるとあります。

また、『西遊記』には、天竺に取経に向かう三蔵一行が通天河(つうてんが)を過ぎる時、水中の妖魔に捉えられてしまいました。悟空は補陀山(ふださん)に馳せ参じ、観音に助けを求めたところ、早速、観音は悟空と共に通天河に赴いて籃を水中に投じました。するとその妖魔は本身に復して籃中に盛られました。その正体は一匹の溌溂とした金魚だったという話です。これは呉承恩(ごしょうおん)の小説での物語です。

魚籃観音は魚の入った籃を持っていたり大魚に立っていたりするので、魚供養や海上安全祈願、大漁祈願や商売繁盛などでお祀りされるそうです。

岡山市の少林寺の魚籃観音は、大正時代に経営が上手くいかなくなった銀行家の檀家の夢枕に観音が現れてお告げがあり、その通りにしたところ経営が上手くいき、そのお礼にこの観音の石像を奉納したとのことです。


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