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10月22日 稽古場の床

本日の掛物は、松平不昧公の賛になる狩野伊川院の槙立山を掛けました。名残ということで宗全籠に秋草種々をいれました。

淋しさハその色としも

なかりけり槙立山の

秋の夕くれ(印)


この歌の作者寂蓮は。淋しさというのは特にその色で感じるわけではなく、槙が立つ山の秋の夕暮れに感じると詠んでいます。特別秋の風情を醸し出すものでないものに秋の夕暮れの寂しさをみています。そこにはありのままのつましい姿、華やかでなく素朴なものに風情を見出す美意識をみることできます。

同様の歌に、西行と藤原定家のものがあります。

心なき身にもあはれ知られけり

鴫立つ沢の秋の夕暮れ

             西行

見渡せば花も紅葉もなかりけり

浦の苫屋の秋の夕暮れ

            藤原定家

寂蓮の歌とあわせて、寂寞とした愁いのある秋の夕暮れを詠んだ三首の優れた歌として、古来「三夕(さんせき)の歌」と呼ばれています。

寂蓮は、平安時代末期から鎌倉時代初期を代表する歌人です。藤原北家の流れを汲む俊海の子で、叔父に歌人の藤原俊成、いとこに藤原定家がいます。俗名を藤原定長といいました。30代のころに出家し、日本各地の歌枕を訪ねる旅をしました。叔父の藤原俊成の養子となり、俊成や定家らとともに、歌人として活躍しました。後鳥羽院からその歌の才能は高く評価されています。後鳥羽院の和歌所の寄人となり、御下命で編纂された勅撰和歌集である『新古今和歌集』の撰者のひとりとなりました。ところが御下命のあった翌年、その完成をまつことなく亡くなっています。


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