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執筆者の写真木津宗詮

10月17日 稽古場の床

床に大綱和尚の詠草を掛け、前に一指斎好の昔籠に秋明菊と野紺菊・時鳥・桜蓼・蓼を入れました。


  

知恩院の宮御茶を玉はりし時

いまよりの千歳の友とちきりおかん

松の木かけの田鶴ならねともと

  あそはして玉はりしを

かしこくも千代を重ねん身にあまる

君かことはのつるの毛衣

             大綱



大綱和尚が知恩院宮尊超法親王の茶事に招かれ、親王から鶴の齢にあやかり千歳の友の契りを結ぼうと声をかけられ感激した思いが詠まれた和歌です。まさに身に余る光栄だったのでしょう。

なお、尊超法親王は、江戸後期の享和2年(1802)に、有栖川宮織仁親王の第8王子として誕生しています。幼称は種宮と称しています。のちに光格天皇の養子、将軍徳川家斉の猶子となり、親王宣下により福道親王と改めて得度し、知恩院宮を相続しています。嘉永4年1(1852)に51歳で亡くなっています。



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