10月20日 稽古場の床3

夜の稽古の床に武者小路千家6代真伯の「茶湯的伝」を掛けました。慣例で一翁忌は、繰り上げて10月の名残の時期に行われています。手向けの秋草種々を花寄せし、茶湯と菓子を供えました。



的伝は、珠光からはじまり、紹鷗、利休、少庵、宗旦、一翁、文叔、そして真伯までの珠光から的々相承してきた武者小路千家の茶の湯の道統が記されています。そしてこの軸のは他の的伝とは異なり、それぞれの宗匠の姿が描かれたまことに珍しいものとなっています。一番上で膝を抱えているのが珠光で、左上を仰いでいるのが紹鷗、その左が利休、右端で丸くなっているのが少庵、その左が宗旦、一段下の右側が一翁、その左が文叔です。







かつて元伯宗旦の次男武者小路千家4代一翁宗守は延宝3年12月19日が没年で、83歳だったというのが通説となっていました。ところが平成15年(2003)5月に「智照山慧光寺過去帳」を私が発見し、一翁の息子文叔が一翁の供養した内容によると、延宝4年(1676)1月19日72歳で亡くなり、11年の差があったことが判明しました。なお、慧光寺は一翁がはじめ養子となった吉岡家の菩提寺にあたります。同寺には「智照山墓所石碑配当之図」と一翁の室真浄妙守や、一翁の義父道寿(吉岡与三右衛門)、義母妙寿、息子太素、娘妙通等、一翁の子どもたちの墓石も存在してきました。またそれまで不明であった一翁と兄宗拙の実母で宗旦の前妻が「寿松院日安妙宗」であったこともわかりました。そしてこれらを流儀機関誌『起風』に発表し、平成25年(2013)10月に私が7代宗詮襲名記念として『千一翁宗守 宗旦の子に生まれて』を宮帯出版社から上梓しました。そしてこの本が評価されて三徳庵から「茶道学術奨励賞」をいただきました。