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10月20日 稽古場の床2

執筆者の写真: 木津宗詮木津宗詮

午後からは椿大神社の稽古です。床は深草の元政の詠草です。花は時鳥と藤袴・野紺菊を虫籠に入れました。


 

            元政

朽はてねなをおりおりに問人の

こころにかゝるたにの柴橋



元政は、江戸前期の日蓮宗の学僧で、漢詩や和歌に巧みで、漢詩で石川丈山と並び称せられました。また和歌は松永貞徳の門人で平明な和歌を詠みました。



13歳のときに彦根藩主井伊直孝に仕え、伊直孝の側室

春光院は姉にあたります。のちに妙顕寺の日豊について僧となり日蓮宗の秘奥を究めました。33歳で京都市伏見区深草に称心庵(瑞光寺)を営み、竹葉庵と号し仏道の修行に励みました。翌年、79歳になる母の妙種を伴い身延山に参詣し、帰京後、庵のそばに仏殿などを開き、深草山瑞光寺を開山し、法華経修行の道場としました。修行の合間に詩歌を楽しみ、熊沢蕃山・北村季吟など多数の著名人と交流しました。

寛文8年(1668)、「鷲の山常にすむてふ峰の月かりにあらはれかりにかくれて」という辞世を詠み、46歳で亡くなりました。遺命で竹三竿を植えて墓標とし、「三竿竹(さんかんちく)の墓」とよばれ有名です。詩集に『艸山集』・『草山和歌集』・『身延道の記』・『本朝法華伝』・『扶桑隠逸伝』などがあります。




私とあなたの心にかかる朽ち果てそうな柴橋を時々渡ってください。深草の庵に住まいして仏堂三昧の日々をおくる元政の思いが見事に読み込まれているように私は解釈しています。




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