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執筆者の写真木津宗詮

10月31日 稽古場の床

今年の最後の風炉稽古です。江戸時代後期の仙厓義梵の砧打画賛を床に掛け、手付籠に桔梗と菊・檀を入れました。


乳もらふ   古人の所詠

   来る夜々更けて

         砧かな

           厓「艹」の下に「サ」(印)


愛児何但我乏乳看児難為待

隣家婦擣衣風天暮 能振源(印)


乳もらふ

来る夜々更けて

砧かな


児を愛するは何ぞ但に我のみならん、乳乏しく児を看るも難し、為に隣家の婦を待つ、衣擣つ風天の暮



子を愛するのは、私だけのことではない。乳が足らず、子を見るのもつらい。そのため隣の婦人を待っている。砧をうつ、風の吹く夕べに。


仙厓は博多聖福寺第123世の住職です。23年にわたりその職を勤め、隠退ののちは詩書画三昧の生活に入りました。ユーモアあふれる軽妙洒脱な水墨画をよくした和尚として有名です。生前から人気があり、その揮毫をねだる客が絶えませんでした。83歳の時、庭に「絶筆の碑」を建て断筆宣言をしますが結局やめられず、没年まで作品を残しています。

その生き方も奔放で、狂歌も多く詠んでいます。その一つに、絵を依頼にする者が後を絶たないこから、

うらめしやわがかくれ家は雪隠か

 来る人ごとに紙おいてゆく

と誰もが来ては紙を置いていくことから、自分の家を便所に擬えた狂歌を残しています。辞世の言葉は「死にとうない」だったとのことです。

なお、署名の「艹」の下に「サ」は「菩薩」の合字です。

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