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執筆者の写真木津宗詮

12月1日稽古場の床

武者小路千家6代家元真伯筆「日比五郎左衛門宛書状」です。膳所焼の耳付花入に西王母と照葉を入れました。

御状忝存拝見候、如仰甚寒

之節御座候得共弥御堅固ニ御勤

奉存事候手前無相替儀も罷有候

随而南都ゟ為御到来之霰酒

一樽御送り被下、誠ニ思召寄不残忝

不打置賞味可仕候猶其内期

貴面御禮万々喜可得貴意侯

恐惶謹言

  十二月四日

             (花押)

真伯は筆跡や手造などから才気ある芸術家肌の家元でした。当時中国から新たに渡来した明朝の書体で記した作品を残し、また手造りになる茶碗や水指等が多く残されています。できばえは素人離れしていて、歴代中の名手です。利休以来武者小路千家に伝来した長次郎の赤茶碗「木守」を自ら写し、その後この本歌の「木守」を高松侯に献上しています。

この軸は日比五郎左衛門なる人物からの書状に対する返事の内容になっています。欠字が若干ありますが、内容は先方の健康を言祝ぎ、書状とともに南都(奈良)の霰酒を送ってもらったことのお礼が認められています。

霰酒とは、かき餅やもち米を薄く伸ばしあられのように切ったものを、焼酎に漬けては引き上げて日に干し、これを数回くり返した後、上みりんとともに瓶に入れ、密封して20日ほど熟成させたものをいいます。かつては奈良の名物でした。真伯は、「不打置賞味可仕候」と認めていることから、直ちにこの霰酒を賞味したようです。極寒の冬の夜長を真伯はこの霰酒をチビチビ呑んで楽しんだのでしょう。なんとも微笑ましい手紙です。




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