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執筆者の写真木津宗詮

2月19日 稽古場の床

江戸時代中期の大徳寺派の万仞宗岱の且坐置字です。



且坐々々

賓主互換識得趙州

茶味麽  壁主(印)



且坐(さざ)、々々

賓主互換(ひんじゆごかん)、趙州の茶味を識得するや



まことに難しい語です。禅の悟りの境地であり、茶の湯の究極を示した軸だと思っています。ただ残念なことに私自身が悟りを開いたわけでないので字面の説明しかできません。キーワードとなる語について以下に記すこととします。

「且坐(さざ)喫茶」という禅語があります。「まあ、しばらく座ってお茶一服召し上がれ」という意味です。そして「七事式」の一つに「且坐」があります。正客が香をたき、次客が花を入れ、三客が炭点前をし、亭主は濃茶を点て、半東は亭主に薄茶を点てます。

同じく禅語に、「賓主歴然」、「賓主互換」という語があります。主は主として客をもてなし、客は客として主にもてなされます。また、主は客の気持ちが分かり尊重しなければもてなすことができません。客は主人の気持ちが分からなければ、客として然るべき振る舞いができません。主客それぞれの領域が歴然としていることを理解して行動することが「賓主歴然」です。また、ある時は主と賓という立場になり、またある時は賓と主という立場になる。互いが自由自在に入れ替わることを「賓主互換」といいます。

「趙州茶味」は、「喫茶去(きつさこ)」で有名な中国唐代の趙州和尚の茶です。立場の違う三人に対して、ただ「喫茶去」、お茶をどうぞお上がりなさいとだけ言った趙州の境地です。相手が誰であろうと分け隔てなく平等に真心を持って接する。好きな人だとか、金持ちだとか権力者だから特別扱いするのどはなく、

すべての人たちを分け隔てなくもてなす茶です。ただ無心で心のこもった一碗の茶を差し上げる、それが趙州の茶なのです。

「且坐、々々」とは、「賓主互換」ごく当たり前に自然に互いが自由自在に入れ替わり、互いを思いやり、尊重すること、「趙州の茶」の分け隔てのない平等で真心の茶を、これも自然に点てられる境地。還暦が過ぎ残された時間は限られています。この境地を極めることは生涯無理なことでしょう。ただ少しでも「且坐、々々」に近づくことに励む。まさに息を引き取るまで修行だということだけは間違いのないことです。



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