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執筆者の写真木津宗詮

3月16日 稽古場の床

一啜斎筆になる道歌を掛けました。加茂本阿弥と西王母・山茱萸を一指斎の竹置筒「竹の葉山」に入れました。

すくなるも又曲れるも

 おしゑ草茶湯に

ふたつ無きとこそ

       しれ

   枝雲庵宗守(花押)

真っ直ぐにありのままに教えるのも、曲がった素直でない教えも、どちらも茶の湯の教えです。まったく異なるように見えますが、いずれも同じ茶の湯の教えなのです。相反するように見えてもその元は一つであり、茶の湯を極めるということは、二律背反に惑わされず、「直」も「曲」も受け入れて高めていかなければならないということを説いている歌です。二分思考からの脱却を説いた哲学であり、禅の教えといえるでしょう。

一啜斎の署名の「枝雲庵」という号は、他に類を見ないものです。

一指斎の「竹の葉山」は、深草の元政上人(日政)の瑞光寺の竹で作られています。元政上人ははじめ彦根藩に仕え、のち妙顕寺の日豊に就て出家します。京都深草に元政庵(竹葉庵・称心庵)を建てて仏道修行に励み日蓮宗の奥義を極めました。漢詩文に優れ、当時、石川丈山と並び称されました。熊沢蕃山や石川丈山、明人陳元、斌貝らと交遊し、漢詩文集に『草山集』があります。和歌は松永貞徳の門人で、家集に『草山和歌集』があります。その庵室が瑞光寺となり、元政の墓は竹三竿を植えて墓標に代え「三竿竹(さんかんちく)の墓」とよばれています。この花入も竹と縁の深い元政上人にちなんでの命銘です。


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