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執筆者の写真木津宗詮

3月21日 稽古場の床

大徳寺の大綱和尚の一行「花開自蝶来」です。花は三夜荘椿と白玉椿、土佐水木を竹置筒に入れました。三夜荘は西本願寺の大谷光尊が宇治に営んだ別荘「三夜荘」にちなみます。三夜荘に原木があり、一重で白地紅吹掛小絞になる椿で、昭和58年に発表された新しい椿です。

茶の湯と大徳寺の関わりは、わび茶の開山村田珠光が一休宗純に参禅し「茶禅一如」の境地に至り、武野紹鷗は南宗寺に住した北派の大林宗套(だいりんそうとう)に、利休は織田信長の菩提寺総見院の開山古溪宗陳(こけいそうちん)に就いて禅の修行をしました。利休の孫の宗旦ははじめ三玄院の春屋宗園(しゅんおくそうえん)に就き、そして清巌宗謂(せいがんそうい)に参禅しました。武者小路千家四代の一翁宗守は芳春院の玉舟宗璠(ぎょくしゅうそうばん)で、それぞれ北派の禅僧に参禅しました。このように千家は北派の禅に参じるというのが伝統となりました。

ところが利休の二百五十年忌の前後、表千家の吸江斎、裏千家の玄々斎 、武者小路千家の以心斎は南派黄梅院の大綱宗彦のもとに頻繁に出入りしてその指導を仰ぎました。表千家は八代如心斎が玉林院の大龍宗丈(だいりゅうそうじょう)に参禅し、以来、玉林院とは格別深い関係でした。そして大龍の法孫で玉林院の拙叟宗益(せっそうそうえき)が吸江斎の黄梅院に出入りすることを禁じたのに対し、大綱が吸江斎に代わら拙叟に詠んだ詩の一節を認めたのがこの軸です。

人々好まざる有り 

黄梅に遊ぶことを禁ずるなかれ 

知識は能く看取す 

花開いて蝶自ずから来る

人には好まないものがある。黄梅院に出入りすることを禁じてはいけない。知識は見て会得することができる。花が開いて蝶は自然とやってくるのだ。


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