大徳寺無学宗衍と絵師の吉田元陳と同じく絵師の土佐光貞の合作になる画賛を掛けました。

元陳が荘周を描き、署名を「酔裏提燈画 法眼元陳」、土佐光貞は蝶を描き「土佐守光貞 酔中」と認めています。酒席での即興になる合作で、その場の墨と筆で描かれていることからまわかります。

二人の絵に着けられた無学の賛は、「荘耶、蝶耶、寝耶、覚耶(荘や。蝶や、寝や、覚や)」で、中国の道家思想の書である『荘子』の「胡蝶の夢」の説話に基づいています。
荘周が夢の中で蝶になって、花から花へ思いのまま楽しくひらひらと飛んでいました。。ところが自分が人間の周であることにまったく気づきませんでした。ふと目が覚めて我にかえると自分は荘周ではないか。ところで、荘周が夢の中で蝶になったのだろうか。それとも実は自分は蝶であって荘周となった夢を見たのだろうかといったお話です。
ちなみに通常使われてている「胡蝶の夢」は、人の栄枯盛衰や一生は所詮はかない夢に過ぎなく、そのはかなさを表す言葉として用いられています。同様の句として「邯鄲の夢」や「盧生の夢」などがあります。茶の湯では、蝶の絵や夢の句をはかないものとして、しばしば追善の会に使われます。
元陳の「提燈画」は、酔っ払って顔が提燈のように赤くなっているということのようです。よほど楽しい酒であったのでしょう。しこたま酒を飲んで酩酊し、大層ご機嫌だったことが伝わります。その楽しい酒席が、まさに夢なのか?それとも現実なのか?その時の偽らざる無学の気持ちを賛にしているのではないかと私は解釈しています。
花は、本日家元献茶の行われた、京都伏見の御香宮神社の椿の銘木「おそらく椿」を唐銅の鶴首にいれました。「おそらく椿」は、小堀遠州が「おそらくこれほど見事な椿はほかにあるまい」と絶賛したとされる椿です。樹齢約400年の五色のチリツバキの古木です。花によって色合いや濃淡の違い、バラのような優雅さを漂わせています。




このような銘木の花を稽古に使うことができ、とても贅沢なひとときを過ごすことができ、今日の稽古はまことに充実した内容になりました。



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