4月28日 稽古の場の床2

更新日:5月1日

夜は自宅の稽古でした。奈良の円照寺元門跡山本靜山の横物「一二三四五六」です。宗全籠に紅白の紫蘭を入れました。



筆者の山本靜山は10世円照寺門跡住職で、華道山村御流の家元でした。子爵山本実康の末女として京都に生まれ、名は絲子、5才で京都大聖寺に入りました。のち大和円照寺へ附弟として入寺して得度を受けます。伏見宮文秀尼・近衛秀山尼より門跡として必要な仏学や和歌や茶道・書道を修めました。平成7年(1995)に79歳で遷化しています。なお、かつて週刊誌に三笠宮の双子の妹として書かれて世間に騒がれました。本人が否定して沈静化したという事件がありました。



一 四

二 五

三 六

  円照門主(花押)



出典は『碧巌録』第四十七則・雲門不収の雪竇の頌古(じゅこ)です。


一二三四五六、碧眼(へきがん)の胡僧(こそう)も数へ足らず。少林謾(まん)に道(い)ふ神光(しんこう)に付すと、衣を巻いて又説く天竺に帰ると。天竺茫々(ぼうぼう)として尋ぬるに処なし。夜来却って乳峰(にゅうほう)に対して宿す。


一二三四五六と六つになにかがあり、西からやって来た碧い眼の達磨ですら数えられません。少林寺で二祖慧可(神光)に以心伝心で法(真理)を伝えたと出鱈目なことをいい、衣の裾を巻きあげてインドに帰りました。インドは遥か彼方でその場所もはっきりしません。しかし達磨の悟りの心(真理)は、この乳峰山、雪竇重顕(せっちょうじゅうけん)の中にあるのです。

この一節は、宋代の禅僧雪竇重顕が、唐の雲門の問答に対して禅的立場から誉めたたえた語です。雲門の問答は、万物の本源を知るには、現象の姿を離れ去ってこそ知ることが出来るという内容のものです。

なお、雪竇は、唐代の禅者の伝記の中から百則の問答を選び、それぞれに自身の禅的見地を込めて簡潔に漢詩でその意を示した「頌(じゅ))をつけた『雪竇百則頌古(せっちょうひゃくそくじゅこ)』を著しています。それを宋代の禅僧圜悟克勤(えんごこくごん)が前文と批評を加えたものが『碧巌録』です。圜悟は各則ごとにその拠り所となる問答を記した「本則」に、簡単にわかりやすくその意義を説いた「垂示(すいじ)」と、その良し悪しを述べた「評唱(ひょうしょう)」、および圜悟個人の批評・見解を述べた「着語(ちゃくご)」を加えています。

なお、圜悟が弟子の虎丘紹隆が悟りを得た証明として与えた「与虎丘紹隆印可状」、通称を「流れ圜悟」は夙に有名です。流れ圜悟は圜悟62歳時の筆になる印可状の断簡で、現存墨蹟中最古のものです。桐箱に入れられて薩摩の坊ノ津海岸に漂着したという奇譚があります。もと大徳寺塔頭大仙院に伝来し、のちに堺の祥雲寺に伝わりました。村田珠光が茶席に初めて掛けたことにより、古来、茶人の間に珍重愛玩されてきました。江戸後期には松平不昧公が金子1000両と年々扶持米30俵とを祥雲寺に贈ることを条件に入手し、現在は国宝に指定され、東京国立博物館に保管されています。



いろんな注釈書や提唱録を読みましたがその真意は私にはまったくわかりません。所詮は禅の悟りの語は文字を通してなど真に理解できるものではありません。まさにしかるべき師に参禅して、はじめて身につくものです。

この軸の本当の真意はわかりませんが、私の大好きな軸の一本です。ことの始まりということで今日の初風炉に掛けました。

なお、書いている字面の意味は説明しますが、あとはそれぞれに解釈してもらっています。

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