4月28日 稽古場の床

三重の某団体職員の稽古での床です。大正時代の妙心寺13代管長関盧山の小槌画賛。花は杜若唐銅四方口花入に入れました。



          盧山書(印)花押

この槌は宝打ち出す

槌でなしのらくら

ものゝあたま打槌


関盧山は、名古屋市に生まれ、俗姓は小川のちに関と改めています。道号を盧山、法諱は惠行、室号碧松軒といいました。11歳の時に岐阜県溪雲寺の仁寶について得度し、18歳のとき、徳源僧堂に掛搭して関鰲巓(ごうれい)に参じ、鰲巓老師遷化の後は、関実叢(じっそう)に就きその法を嗣ぎました。明治37年、実叢が妙心寺派管長就任したことにより、師命により徳源寺僧堂の師家となります。大正8年に、妙心寺派管長に就任し、昭和19年1月31日に80歳で没しています。


盧山は修行僧の指導に格別尽力し、多いときは100名を越す雲水がその膝下に参じ、禅堂からあふれ本堂はじめ寺内の各所で座禅に励んだそうです。また在家の帰依する者も多く、徳源寺の大釈迦堂、唐門などの諸堂を建立・整備をしています。