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4月9日 稽古場の床

春日大社職員の稽古の床に江戸中期の絵師三熊花顛(みくまかてん)の桜花図を掛けました。

三熊花顛は加賀国(石川県)の出身で、名は思孝、字は海棠、別に介堂と号しました。絵を長崎の大友月湖に学びました。のちに麒麟や鳳凰、龍、虎、獅子、象など見たこともないものを描くのは、ただ一時の目を喜ばせるだけのもので世の中になんの役にも立たないという心境にいたりました。古い時代の公のことや民間のさま、今の時代の人物や日常使うものを描いて後世に伝えることこそ価値がある。桜はわが国もので他国にはないものである。桜を描くことが日本人にとってもっとも大事なことであるとして、各地に桜をもとめて旅をしました。そして生涯桜を描くことに専念したのです。花顛の桜はとても緻密な描写で表現されています。同じ画面上に、桜以外の他の事物を組み合わせず桜花だけの世界にこだわりました。

たのむぞよ析骨にして桜の木

の辞世の句を残し、寛政6年(1794)40年間、桜に捧げた人生を終えたのです。享年65才。生前嵯峨の戸奈瀬の滝の桜がもっとも美しいと言っていたことから、戸奈瀬の滝の前の流れに遺骨が沈められました。古今無双の桜の溺愛者の真骨頂をうかがうことができます。


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