5月1日、本日は床に日野資枝の「五月朔日前庭の池に秦亀出現せしかは」と題する詠草を掛けました。

花は白雪芥子、花入は11代家元一指斎の門人秦蔵六の古洞銅耳花入です。秦蔵六は蝋型(ろうがた)鋳造を得意とし、中国の古銅器の模作で著名です。孝明天皇の銅印や将軍徳川慶喜の征夷大将軍の金印、明明治天皇の御璽と国璽を鋳造しました。

資枝上
五月朔日前庭の池に
秦亀出現せしかは
言の葉の道のさかへを萬代と
ちきりて庭にかめやいてけむ

五月朔日(一日)に資枝の屋敷の池に秦亀(いしがめ)が出現したことを詠んだ歌です。言の葉の道とは和歌の道のことです。
江戸時代の大坂の医師寺島良安によって編された百科事典である『和漢三才図会』に、「秦亀」のことを「以之加米・いしかめ」とあります。

「鶴は千年、亀は万年」といわれ、古来、亀は長寿を象徴する縁起の良い動物とされています。古代中国では為政者の徳が天下に広まれば天が何らかの兆しを顕すと考えられていました。その兆しは森羅万象が対象となり、白い動物、特に白亀の出現は最もめでたい兆しとされました。古くは文武天皇の4年に長門国から白亀が献上されました。元正天皇の時には左眼が白、右眼が赤、七星を背負った亀が献上され「霊亀」と改元されています。また聖武天皇は両眼が赤の白亀が献上され「神亀」と、光仁天皇の時には白亀が献上され「宝亀」と改元されています。また近年では、江戸後期の尊皇思想家である高山彦九郎が緑毛亀(蓑亀)を献上したことで光格天皇に拝謁ししています。


天明の大火に屋敷が罹災した冷泉家も、その再建のための地鎮祭のときに亀が現れしばらくそこで遊んだとの伝えがあり、冷泉家ではこれをとても喜び、亀を冷泉家のシンボルにしたそうです。今出川通りに面している門の屋根には『阿吽の亀』が据えられています。そこで「亀の冷泉(上の冷泉)」よばれたそうです。


資枝はこの時の亀の出現に感動し、このことが未来永劫、和歌の道が繁栄する吉兆であるとしたのです。署名の脇に「上」と記されていることから、神仏や天皇に奉納した軸であることがわかります。このことからこの歌は資枝にとって格別な思いが込められた歌であることがわかります。
なお、武者小路千家7代直斎が亀の絵をまことにシンプルにかわいらしく描いた絵に、資枝がこの歌を着賛した画賛があります。資枝と直斎の具体的な交流については不明ですが、茶の湯の家元の直斎の亀に公家の資枝が賛を書くというのはよほど深い関係があったことと想像できます。この当時の身分の差から考えるに、このようなことは破格のことでした。

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