床に幕末の公家綾小路有長の懐紙「葵掛簾」を掛けました。花は黄菖蒲。秦蔵六の象耳花入に入れました。
葵懸簾といへる事をよめる
按察使前大納言有長
諸かつらかくるあふひの珠すたれ
いく世みとりの色やかさねむ
枕草子に「四月、祭りのころいとをかし」とあるように、平安時代、単に祭りといえば葵祭のことをさしました。葵祭は石清水祭、春日祭と共に「三勅祭」の一つです。また「京都三大祭」の一つで、正式にはは「賀茂祭」といいます。下鴨神社(賀茂御祖神社)と上賀茂神社(賀茂別雷神社)の例祭で、毎年5月15日に行われます。ちなみに、石清水八幡宮の「南祭」に対し、「北祭」とも呼ばれました。葵祭という名の由来は、祭りの当日に内裏の御簾をはじめ、牛車・勅使・行列の人々の冠や装束、牛馬など全てを葵と桂の葉で飾ったことによります。これを「葵桂(あおいかつら・きっけい)・懸蔓(かけかづら)」といいます。 葵は下鴨神社のご祭神玉依比売命(たまよりひめのみこと)を表わし、桂は松尾大社のご祭神大山咋神(おおやまぐいのかみ)を象徴しているとのことです。玉依姫命が川を流れてきた丹塗り矢に感応して生まれた子どもが上賀茂神社のご祭神賀茂別雷命 (かもわけいかずちのみこと) です。そして丹塗りの矢が松尾大社の大山咋神であったとされています。また、地表近くに生える葵は女性で陰、天にむかってそびえる桂は男性をあらわして陽であるという説もあるそうです。
下鴨神社では桂の枝に葵を懸け、それぞれの葉にまた葵を懸け、再びその葉に葵を懸ける姿です。上賀茂神社は桂の枝に双葉の葵を絡ませ、葵を2連、4連と絡ませて装飾場所によって大小を使い分けて飾るそうです。
新型コロナウイルスの影響で、豪華絢爛たる平安装束による行列行事「路頭の儀」は3年連続で中止となりましたが、天皇陛下のお使いである勅使が御幣物(ごへいもつ)を供え、国家安泰を祈願する神事である「社頭な儀」は行われました。
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