木津宗詮2024年5月18日読了時間: 1分5月16日稽古場の床3祇園の稽古のあとは某料理屋のです。床は江戸中・後期の歌人で下鴨神社祠官の梨祐為の掛葵画賛です。朝鮮唐津蹲花入に鉄仙と都忘れに桂を入れました。ちはやする加茂の社のあふひくさかけてひさしき世をいのるかな 鴨祐為書(印)千早降る加茂の社の葵草掛けて久しき世を祈るかな祐為は幼少のより和歌を好み、冷泉為村の門に学びました。1日に1000首をつくる早吟(そうぎん)で知られ、線香3寸を立ててその燃え尽きる間に50首を詠じました。一生に詠んだ歌は十万首に達したといわれています。
祇園の稽古のあとは某料理屋のです。床は江戸中・後期の歌人で下鴨神社祠官の梨祐為の掛葵画賛です。朝鮮唐津蹲花入に鉄仙と都忘れに桂を入れました。ちはやする加茂の社のあふひくさかけてひさしき世をいのるかな 鴨祐為書(印)千早降る加茂の社の葵草掛けて久しき世を祈るかな祐為は幼少のより和歌を好み、冷泉為村の門に学びました。1日に1000首をつくる早吟(そうぎん)で知られ、線香3寸を立ててその燃え尽きる間に50首を詠じました。一生に詠んだ歌は十万首に達したといわれています。
Comments