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執筆者の写真木津宗詮

5月18日 稽古場の床

武者小路千家先々代家元愈好斎の一行「明歴々露堂々(めいれきれきろどうどう) 」です。大山蓮華を鉈籠に入れました。

明歴々露堂々    官休庵(花押)


「明」は、はっきり見えるとか、事がはっきりしているという意味。「歴」は、明白であるさま。はっきりとしているさま。「露」は、あらわす。あらわれる。「堂」は、大きいさま。広いさまとか、りっぱなさまです。 そこで「明歴々露堂々」とは、真理は、いささかも覆い隠すことなく、歴然と明らかに堂々と目の前に現れているという意味の禅語です。

真理というのは高尚深遠なところに隠れていると思われがちですが、じつは身近なところに少しも隠すことなくはっきりと現れている。それを見ることができないのは、こちらが悟りの境涯でなく、目が開けていないからで、悟りの眼を開いた上で眺めてみると、真理はいたって平凡卑近なところにはっきりと 現れているということだそうです。

私には悟りについてはさっぱりわかりません。また、それを語る資格もありません。ただ自分自身に置き換えてみると、迷うことや悩みがある時に、冷静に周りを見回せば答えは案外身近な所にころがっている時があります。そういう意味では、高尚な禅の悟りの境涯と考えず、もっと卑近なことにこの語を当てはめることができるのではないかと思います。まさに「灯台元暗し」です。

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