本日の大阪稽古場の床は、大徳寺の無学宗衍の墨跡「薫風自南来 殿閣生微涼」です。白山の鉈籠に露草、段菊、姫小判草を入れて床柱に掛けました。
薫風自南
来
殿閣生微
涼
前龍寶無学書(印)
唐の文宗が前半の句を作り、柳公権が後半をつけた詩が元になっています。
人は皆炎熱(えんねつ)に苦しむも
我れ夏日(かじつ)の長きを愛す
薫風南自 (より)来たり
殿閣微涼(びりょう)を生ず
人々は夏の日のカンカン照りの厚さを嫌がるけれど、私は一年中で一番日の長い夏が大好きです。南の方からそよそよと吹いてくる薫風によって、宮殿の隅々もいっぺんに涼しくなる。
のちに宋の蘇東坡が為政者の詩として不適切であり、また当時の上流の人たちを諷刺した詩を読んでいます。
一たび居(きょ)の為に移されて
苦楽永く相忘る
願わくば言わん、此の施しを均しくして
清陰を四方に分かたんことを
皇帝は広々とした宮殿に住んでいるので、暑く苦しい夏日の長いのが好きというのだろうが、天下の人々が炎熱の中に苦しんでいるのに気がつかないのである。どうか、もっと天下万民の上に思いを寄せ、「薫風南自り来り、殿閣微涼を生ず」のような安らぎを庶民のために分かち与えてもらいたいものだという詩です。
蘇東坡の詩は、夏の長い日をなに不自由なく宮中で遊んで暮らせばよい皇帝の思い上がりを批判しています。
今から6年前に御即位された天皇陛下が即位後朝見の儀で、「自己の研鑽に励むとともに常に国民を思い、国民に寄り添いながら憲法にのっとり、日本国および日本国民統合の象徴としての責務を果たすことを誓い、国民の幸せと国の一層の発展、そして世界の平和を切に希望いたします。」と述べられました。まさに民に対する君主の心とはこうでなければならないのだと思います。
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