今日の稽古の床は武者小路千家先先代家元愈好斎の一行です。花は甘茶と蛍袋・金糸梅を白山の鉈籠にされました。
山是山水是水
官休庵(花押)
唐代末期から五代時代にかけての禅僧雲門文偃(うんもんぶんえん)の語録、『雲門広録』が出典です。雲門は禅宗五家七宗の一つ、雲門宗の開祖です。
ある時、雲門和尚が法堂に上がって説法しました。諸君、とらわれの心によって、真実でないものを真実であると誤って考えてはいけない。天は天であり、地は地である。山は山であり、水は水である。そして僧は僧であり、俗は俗である。しばらく沈黙して、私のために寺の前にある山をつまんで見せなさい。
禅語の本によると、悟りに至らない段階では当然のことながら山は山、水は水にしか見えない。しかし、無我の三昧を体得して本来無一物の境地に至ると、一切が無差別平等となり、山は山でなく、水も水でなくなってしまう。ところが、さらに修行が深まって悟りの心さえも消え去ってしまうと、山が山として水が水として新鮮に蘇ってくるとあります。
理屈ではわかりますが、その境地に無いものにとっては、本当の意味はなにひとつ理解できません。ただ山と水ということから、爽やかな好季時ということで掛けました。
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