木津宗詮6月10日読了時間: 1分6月9日稽古場の床冷泉為村の短冊「卯花」を床に掛け、宗全籠に紫陽花、虫取撫子、蛍袋、矢筈薄を入れて書院に置きました。卯花くれ深き籬にさける色はみな夕の月とまかふうの花 為村夕べの空を煌々と照らす月と見間違うような籬に、たわわに咲いた真白い卯の花を詠んでいます。
冷泉為村の短冊「卯花」を床に掛け、宗全籠に紫陽花、虫取撫子、蛍袋、矢筈薄を入れて書院に置きました。卯花くれ深き籬にさける色はみな夕の月とまかふうの花 為村夕べの空を煌々と照らす月と見間違うような籬に、たわわに咲いた真白い卯の花を詠んでいます。
2代得浅斎宗詮6 家族の不幸前出の通り、松斎(歓深院降龍)が安政2年(1855)の元旦に亡くなり、2月5日に得浅斎は喪主として本葬を勤めている(『鐘奇斎日々雑記』)。この時、得浅斎は36歳の働き盛りであった。同十二日には恒例の利休忌を卜深庵で勤めている。得浅斎は喪中にも関わらず、流祖利休の追善の茶会を催している。 そしてこの時期の得浅斎は前後して多くの不幸に見舞われている。同年3月2日には義母の柳(教深院貞寿)が松斎の後を追