夜の自宅の稽古の掛物は、仙厓の月下打砧画讃です。一指斎好み昔籠に秋海棠、野路菊、木槿、金水引草、水引草、矢筈薄を入れました。かつて中国浙江省の天目山に赴いた時に、民家で使っていた砧を譲ってもらいました。それを書院に飾りました。
古人の所詠
乳もらふ
来る夜々更けて
砧かな
厓■(印)
愛児何但我乏乳看児難為待
隣家婦擣衣風天暮 能振源(印)
児を愛するは、何ぞ但に我のみならん、乳乏しく、児を看るも難し、為に隣家の婦を待つ、衣擣つ風天の暮
子を愛するのは、私だけのことではない。乳が足らず、子を見るのもつらい。そのため隣の婦人を待っている。砧を打つ風の吹く夕べに。
仙厓が発句と絵を書き、能振源なる人物が賛を認めています。なお■は「艹」の下に「サ」で「菩薩」の合字です。
かつて洗濯した布に着物な艶をだしたり、柔らかくするために、婦人が木の板の上で木製の槌を持って布を打つことが行われました。その道具の布を打つのに用いる台を「衣板(きぬいた)」といいました。のにち叩く槌が混同してしまい「きぬた」と呼ばれるようになりました。古来、秋の夜長に砧を打つ音が遠く近くひびく詩情が漢詩や和歌な詠まれています。
粉ミルクがなかった当時、乳は赤ちゃんにとって生き死に関わる大切なものでした。乳のでない母親は出る人から「もらい乳」をしました。
秋風にのって単調な砧の響きが聞こえます。子への慈しみは深いのに乳が出ない。隣家の乳をくれる婦人の訪れをただただ待ちわびている母親の嘆きが伝わります。
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