落語に「いかけ屋」という演目があります。道端で壊れた鍋、釜などの鋳物を修理するいかけ屋のおっさんを、悪童たちがからかうやりとり描いた噺です。
子供の頃に蝙蝠傘の修繕と鋳掛をする人が定期的に来てました。もうそんな職人はいなくなりました。懐かしい思い出です。
奈良の稽古場に立派なおくどさんがあり、そこに掛けられている羽釜をよく見ると鋳掛のあとがありました。昔の人は今のようになんでも壊れると使い捨てということをせずに、なんでも修理して長く使いました。
豆腐は鍋で買いに行きました。たこ焼きなんかもへぎで作った船にのせました。野菜なんかも新聞紙に包んでました。竹の皮も包むものに用いられていました。割り箸も間伐材、ザルも藪の竹を間引いたもの。りんご箱や古紙は風呂やおくどさんの焚き付け、風呂の湯も洗濯や植木の水に使いました。灰は畑の肥料に。墓地の塔婆も板が貴重だったから、寺では見えないところの建材に使われていました。魚の骨は猫や犬の餌になりました。ビロウなことですが、排泄物は畑の野菜の肥料に使われました.だからゴミというものがほとんど無かった。無駄なものはまったくといってよいほど無かった。
今盛んにいわれるリサイクルは何も珍しいことではなく、本当にエコな生活を送っていました。でも、今更昔の生活に戻ることは嫌です。便利で快適な生活を捨てることはできません。理屈でわかっていてもそれを実行することは本当に難しいことです。
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