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執筆者の写真木津宗詮

バドゥイ

ジャワ島西端のバンテン州の山地に住むバドゥイ族は400年以上イスラム化も近代化も拒みながら、孤立の文化を守ってきた人びとです。一説によると、1579年に、バンテンのイスラム勢力によって、ヒンドゥー王国のパジャジャランが滅亡した後、山中に逃れ去った一族の子孫ということです 。独特の世界観と慣習を守り続けて、学校や病院、電気や機械もない生活環境で暮らしています。きわめて閉鎖的な内バドゥイの3つの村と比較的ゆるやかな緩衝地帯である外バドゥイにわかれています。かつては共産ゲリラがこの地域にいたとのことです。内バドゥイは白、外バドゥイは黒の服に頭にウデンと呼ばれる布を巻いています。

ジャカルタからバドゥイの入口のターミナル車で約5時間。途中、セーランでバドゥイを案内してくれる教師をしているスーディルマンさんと合流しました。ターミナルの周辺には食堂やバドゥイの手織り布やはちみつを売る土産物屋があります。今回ホームスティでお世話になるカシモ村の村長ムスンさんが迎えにきてくれ、そこから山道を歩きました。ちなみにバドゥイなら20分、日本人なら30分、インドネシア人なら1時間とのことです。インドネシア人がのんびりしているのが伝わります。

途中、写真を撮りつつ行ったので1時間ほどかけてようやくムスンさんの家に到着しました。竹を細かく割ったものが床になる開放されたソソロと呼ばれるところでムスンさんの長女が機を織っていました。とりあえずそこでコーヒーをいただき、日本から持参のお土産を渡して一息つきました。

その後、村を散策しました。川石が敷き詰められ、バドゥイの伝統的な家屋が立ち並ぶ中を興味深く見てまわりました。チウジュン川に架かる竹の橋を渡るとたくさんの米倉が並んでいました。なお、米倉は火事になっても大丈夫なように、わざと家から離して建てているのだそうです。

この村の人々の仕事は、男性は畑仕事や山仕事、女性は機織り。どの家でもソソロでは女性が朝早くから暗くなるまで、糸を紡いだり機を織っています。なお、大方のインドネシアの人は役所や会社などに勤めている人以外は昼食後は暑くて仕事ができないので晩御飯まで横になるという人が多い中、バドゥイの人は朝6時頃から夕方まで仕事をしています。同行したインドネシア人がバドゥイの人は本当にまじめに働いていると感心していました。


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