木津宗詮2019年9月29日読了時間: 1分南方熊楠 明治22年、南方熊楠は和歌山県田辺市に移り住みました。当時、行われていた神社合祀令に怒りを感じ、その思いを鎮めるために同市の法輪寺の大蔵経を借り受け、連日、めぼしいところを抄写しました。 そうした中の第186套の帙の内側に、誰かが「陀羅尼雑集十巻不足」と記しているのを線を引いて消し、「右ハ不足ニ非ラズ、見出セリ、南方熊楠識」と記しています。
明治22年、南方熊楠は和歌山県田辺市に移り住みました。当時、行われていた神社合祀令に怒りを感じ、その思いを鎮めるために同市の法輪寺の大蔵経を借り受け、連日、めぼしいところを抄写しました。 そうした中の第186套の帙の内側に、誰かが「陀羅尼雑集十巻不足」と記しているのを線を引いて消し、「右ハ不足ニ非ラズ、見出セリ、南方熊楠識」と記しています。
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