• 木津宗詮

初代松斎宗詮12 平瀬春郷

最終更新: 2019年10月5日

春郷(一七七〜一八二一)は半仙と号した。このころの平瀬家は経営が安定し、資産を蓄積していった時期にあたり、このころから茶道具の蒐集が本格化していく。茶道具の購入は純粋にその愛好と執着によるものと、財産保全のために投資するという側面もあったようである。柴田勝家が織田信長から一国の代わりに拝領した「柴田井戸」をはじめ、「千種伊羅簿」・直斎好みの「名取河香合」等を入手している。また、本宅屋敷木犀居(もくせいきょ)の普請を行い、常釜を掛けて商談や社交など、茶の湯を積極的に楽しんだ。なお、同家には武者小路千家七代直斎と次代の一啜斎からの書状が多数残されていて、両家と武者小路千家との深い交流を知ることができる。

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2代得浅斎宗詮3 一指斎の後見

得浅斎は、松斎の茶の湯を義母の柳とともに支えた。武者小路千家は此中斎の離縁により、急遽新たに後継者を迎える必要に迫られた。「登士録」に、嘉永5年(1852)3月22日に表千家の吸江斎の息子で、以心斎の甥にあたる辰之助、のちの一指斎が再養子として入家している。辰之助が5歳の時のことであった。「松平家譜」には、同5年4月19日に、「茶道格別之家筋」ということから、未だ幼年ではあるが、十人扶持を支給され

2代得浅斎宗詮2 茶の湯修行

家元への入門並びに許状の台帳によると、得浅斎は天保6年(1835)、14歳の時に武者小路千家九代好々斎に入門している。なお、好々斎はその10日後に41歳で没しているので、好々斎に直接茶の湯の指導を受けることができなかったと思われる。いずれにしろ好々斎の最後の弟子の一人であったといえる。 同10年(1839)3月に小習六ヶ条と、唐物点・茶桶箱、同年10月には台天目と盆点・乱飾、そして流儀の最奥義であ

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