明智光秀の首塚です。本能寺の変の後、天王山の合戦で羽柴秀吉に負け近江の坂本城に逃れる途中、小栗栖で竹槍で刺されて自刃して果てました。光秀の遺骸は本能寺に晒され、首は粟田口北角に埋葬されました。
明智光秀は浄瑠璃の『絵本太功記』では武智光秀とし、羽柴秀吉を真柴久吉、織田信長を小田春永とし、主君尾田春永から辱められた武智光秀は、ついに耐えかねて謀反を決意しこれを討ちます。逆賊の汚名を着ることになった光秀に怒り、光秀の母皐月は尼ヶ崎に引きこもります。光秀の子の十次郎は許婚初菊と祝言をあげ出陣します。その時、旅の僧が宿を求めてきます。後から来た光秀はこれを久吉と見破り障子越しに槍で突きます。ところが槍に突かれたのは久吉ではなく皐月でした。そこに戦場で深手を負った瀕死の十次郎が戻り味方の敗北を伝え息絶えてしまいます。誤って自らの手で母親を刺し殺してしまい、また息子十次郎もともに死んでしまい動転した光秀の前に久吉と佐藤正清(加藤清正)が現れ、後日天王山で再び会うことを約束して去っていきます。
『絵本太功記』は謀反人で敗者である武智光秀(明智光秀)を主人公とし、天王山の合戦で久吉(秀吉)に敗れて滅ぼされるまでの光秀の「三日天下]を題材にした悲劇です。
奉納された手水鉢は文楽の竹本大隅太夫の名が刻まれています。
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