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執筆者の写真木津宗詮

秋ちかく

梨木祐為(なしのきすけため)の難波潟の自画賛です。

             祐為賛(印)

あきちかく

 成にけらしも

    難波かた

 入江のほたる

  かすそすく

      なき

梨木祐為は 元文5年(1740)下賀茂神社祠官の子として生まれ、鴨祐為とも称しました。正四位下上総介。幼少の頃より和歌を好み、冷泉為村の門に学ぶ。一生に詠んだ歌は、十万首に達したといわれています。家集『鴨祐為歌集』の中に、線香3寸を立ててその燃え尽きる間に50首を詠じた例を見いだすことからも納得できます。一日千首の企ても幾度か行われた。

没年: 享和1年 (1801) に62歳で没しています。

難波潟は、歌枕として著名で、上代、今の大阪市の上町台地の西側から河内平野をみたし、生駒山麓まで広がっていた巨大な入江の古称で、港である「難波津」があり、浅い海だったので航路を示す「澪標(みをつくし)」が立てられ、あたり一面に「葦」が生い茂っていました。歌では、「澪標」「葦」などが景物として詠まれています。

祐為の時代は大半が埋め立てられ、大阪の町の中心になっていました。歌枕ということで、往事の難波潟の歌を葦と蛍に着賛しています。秋が近づいてきたので、ここ難波潟の入江の蛍の数も少なくなっている光景を詠んでいます。

さて、今日8月2日は旧暦6月16日です。季節の分け方では旧暦6月はまだ晩夏です。今年の立秋は8月8日(旧暦6月24日)です。秋が近づいてきたにしてはまだ早すぎます。夏の暑さはこるからが本番です。祐為のこの歌には、蛍が秋に近づくにつれ死んでしまって数が減っていき、秋にはすべて死んでしまうとの思いが込められています。


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