遠州流8世で小堀家中興の小堀宗中の菓子画讃です。
菓子に みつかんと きやうんと くろまめを いたして よめと ありけれは 題は三つ かんに たへたる 御所望の うたをあんすの みはくろうまめ 宗中(印) 菓子に蜜柑と杏仁(きやうん・きょうにん・あんず)と黒豆をいたして詠めとありければ
題は三つかんにたへたる御所望の
歌をあんずの身はくろうまめ 菓子としての蜜柑と杏仁、黒豆を歌を詠みこめとのことですので、次のように詠みました。 題は三つということで、どうにもこうにも感に堪えません。御所望の歌を案じますこの我が身は、そんな難しい題に苦労していますよ! この歌はいわゆる「物名」と呼ばれる歌です。物名とは和歌の詠法の一種で、「隠題(かくしだい)」とも呼ばれ,歌の意味内容とは関わりなく事物の名を詠みこむ、遊戯性の高い知的技巧のことをいいます。動植物の名や地名,食品名などが多く読まれます。物名は1つに限らず,十二支を2首の歌に詠み入れた例 や,「かきつはた」や「をみなへし」を折句にした例 などもあります。また二重の意味を利かせず、言葉の形のみを借りる場合も多くあります。たとえば、『古今集』巻十・物名の巻頭の藤原敏行の歌、 心から花のしづくにそほちつつ 憂く干ずとなみ鳥の鳴くらむ 自分の心は花の雫に濡れながら、どうしてつらくも乾かないと鳥が鳴いているのだろう。「憂く干ず」に題のウグヒスが隠してあります。 宗中の歌は、 「題はみつかんと」の中に「三つ」と「蜜柑」の語が、「歌をあんず」に「案ず」と「杏(きゃうん・きゃうにん・杏仁)」さらに「身はくろうまめ」の中に「苦労」と「黒豆」の語が入っています。これがこの歌の真骨頂です。まさにみごとな歌です。 今の時代、お菓子を蜜柑や杏子などの果物、黒豆も甘納豆のように加工したものでなければお菓子というイメージがありません。古くは果実や木の実などを総称して「くだもの」と呼んでいました。漢字が伝来し「くだもの」に「菓子」あるいは「果子」の字があてられるようになりました。そして遣唐使等により中国から小麦や米の粉を加工して油で揚げるなどした唐菓子が伝わります。果実とは全く異なる加工された食品ですが、嗜好品としては果実同様であるとして「くだもの」と分類されたようです。なお、今日、加工品の菓子に対し果物を「水菓子」と呼んで区別しています。 わが国の和菓子の変遷は、鎌倉時代から室町時代にかけて中国からの禅僧の渡来し、また多くの留学僧、貿易等により中国との交流が盛んになりました。当時、中国で食べられていた饅頭や羊羹・粽などの点心がわが国に伝わりました。中国では肉類を用いて作られていましたが、日本では仏教の影響により肉類ではなく小豆や豆類など植物性の素材に置き換えて作られるようになり、茶の湯の隆盛により饅頭や羊羹・粽などが菓子として広く取り上げられて行きました。元来、菓子は料理の一品でしたが、こうした流れの中で和菓子のという独立したものに変遷し今日にいたっています。なお、安土桃山時代にはポルトガルやスペインとの南蛮人の渡来により、カステラやボーロ、金平糖、カルメラなど南蛮菓子が伝えられました。その後、日本独自の製法が工夫され和菓子として発展しものもあります。また明治以降はキャンディやチョコレート、ビスケット、クッキー、ケーキなどが伝わり、今日、「洋菓子」として一般的なお菓子と広く普及しています。
蜜柑
杏
黒豆
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