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執筆者の写真木津宗詮

夏越祓

望月玉渓(もちづき ぎょくけい)の夏越祓図です。

望月玉渓は明治7年(1874)に玉泉の子として京都に生まれました。父に画技を父に学び、望月派の5代目となり、昭和13年(1938)に亡くなっています。画風は望月派の伝統的で緻密なものです。

さて、今日6月30日は夏越祓(水無月祓)の日です。この祭については数回にわたり記しました。この図は川辺で神主が川の中に立てられた忌串(いくし)に挟んだ御幣に向かって祓をしている姿を描いています。

「御幣」は別名を「幣帛(へいはく)」とかみてぐらともいい、古くは神に奉献するものをすベて「みてぐら」と称していいました。のちに麻や楮(こうぞ)から作られた貴重な紙を奉献する場合に限って、そう呼ぶようになりました。

『古事類苑・神祇部三十九』には、

凡そ布帛を献ずるには、多くは之を串に挿めり、之を忌串と云い、又幣串と云う、後世に金銀若しくは白色五色等の紙を幣串に挿みて、之を御幣と称するに至りしは其の遺制なり

とあり、時代が下るにつれ、四手・支手(しで)と呼ばれる麻や楮で造られた清らかな品を串に挿したものが「御幣」であるとされ、謹んで神前に捧げる供物として用いられるようになります。そして御幣そのものが神の宿るもの、すなわち神の寄代(よりしろ)として考えられ、御神体としても扱われるようになります。また神へ祈りを捧げたり、あるいは汚れを祓うために幣帛が用いられるようにもなりました。今日、紙を切った御幣が一般的です。玉串や注連縄・祓に用いられる祓串・地鎮祭の寄代に御幣に見ることができます。なお、紙は麻や楮を晒して作られます。紙は自然界の清浄な植物から作られることからこのように位置づけられたようです。


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