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執筆者の写真木津宗詮

建掛塔

楠木正成公は後醍醐天皇の命で金堂(国宝)を造営し、三重塔の建立を計画しましたが、湊川の合戦で完成をみずに戦死したため建掛塔(たてかけのとう)と呼ばれています。










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