麦には小麦・大麦・ライ麦・燕麦などの種類があります。押し麦に使われるのは大麦だそうです。大麦を精白したものを精麦といい、大麦はそのままだと水を吸いにくく、また消化も悪いそうです。麦飯を炊くにあたり、かつてはあらかじめ大麦を煮て水分を捨てて粘り気を取って米と混ぜて一緒に炊いていたそうです。また「挽割麦(ひきわりむぎ)」といって唐臼や石臼で挽き割って粒を小さくした麦を米と混ぜて炊くことも行われました。挽割麦は主に農家の自家消費用で明治10年頃からは一般にも販売されるようになったとのことです。
押し麦は、まず搗精(とうせい)して外皮を取り、さらに磨いてヌカを取り除きます。そして蒸気で加熱してやわらかくなったところを回転するローラーとローラーの間を通して平らにし、熱風で乾燥させ、その後冷風で冷却して作るそうです。押し麦は麦を砕く代わりに平たく押しつぶして煮えやすくしたものです。押し麦は明治35年に発明されたそうで、当初は麦を石臼にかけ、手押しのローラーで押して天日で干す手作業で製造していたとのことです。大正2年に鈴木忠治郎が麦の精殻・圧延機を開発して精麦過程が機械化されて大量生産ができるようになりました。なお、搗精(とうせい)しただけの大麦を「丸麦」といいます。
昔の庶民が白米だけの飯を食べるのは、都市部以外では祝祭時のみでした。日常は大麦や稗、粟などの雑穀に米を少し入れたり、大麦のみで作るような麦飯も見られました。古くは米2麦8の混合率から次第に米3麦7、そして半々の麦飯となり、戦後は広く米7麦3の比率となりました。なお、麦飯は米飯とは異なる独特の香りと、やや固めで粘りけの少ない食感をもち、麦を多くするほど飯の粘り気が少なくなり固い食感となります。麦の量が増えるにしたがって米のみの場合よりも水を多めにするのだそうです。ちなみに米のように粒の状態で炊飯する食べ方は、日本と朝鮮でみられ、ヨーロッパではピラフにされるとのことです。
かつて多く庶民は「銀シャリ」といって白米で炊いた飯をたらふく食べることが夢であり豊かさの象徴でした。それに対し麦飯は貧しさの象徴でした。以前、僧堂の食事について原稿を書きました。その時、特別に許可をもらって大徳寺の僧堂で取材をさせてもらったことがあります。米にほんの少しだけ麦を入れて飯を炊いていると聞きました。清貧な生活を送る修行道場の伝統からその精神を引き継いで麦を今日も混ぜているとのことでした。ほんの少しだけというのは、近年健康食ブームの影響で米よりも麦の方が高価なものになったからとのことでした。
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