利休居士遺愛の水 晴明井

更新日:3月27日

千利休は豊臣秀吉の逆鱗に触れ、堺に蟄居を命じられ、のちに京都に呼び戻されて葭屋町の聚楽屋敷内で切腹を命じられて自刃して果てました。天正19年(1591)2月28日、享年70歳。



その首は一条戻橋で梟首された。首は賜死の一因ともされる大徳寺三門上の木像に踏ませる形でさらされたと伝えられています。秀吉の逆鱗の原因は定かではありません。





利休が葭屋町の聚楽屋敷はのちに安倍晴明を祀る晴明神社となり、境内の「晴明井」の水は利休が茶の湯に用いた同じ水脈の水です。



なお、「千利休居士聚楽屋敷跡」の石碑は武者小路千家当代不徹斎家元の揮毫によるものです。






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あやめ