柴手水

茶ヲ立ルニ、茶入ナド取候時、手ヲモミ合セテ取コト、コレヲ柴手水(しばちょうず)ト云コト、笑嶺和尚、アルトキ休ニ被仰(おおせらるるは)ハ、茶巾ナドアツカフテシメリタルユヘ、モミ合スルト茶人被申(もうされ)候ヘトモ、根本サヤウニテハアルマジ、真言宗ナドニ専(もっぱら)スルコト也、山中修行ノ時ナド、タビ〳〵手水改ムルニ水ナキ嶺(みね)ナドニテ、柴ノ葉ヲ取テ手ニ入テ、モミ合セ、改メヲスル、コレ柴手水ト云也、茶入ナド大切ノ道具ヲアツカフ為、改ル心ナルベシト、休、感伏セラレシナリ、カヤウノ故実ヨク〳〵知ベキコト也  『南方録』滅後

柴手水といって茶を点てる時や、茶入などをとる場合に手をもみ合わせることがあります。ある時、利休の参禅の師である笑嶺和尚が利休に柴手水のいわれについて説明をしました。柴手水は真言宗、すなわち修験道などで山中での修行の際に、手を清めるのに水がない山頂などで柴の葉を手にとってもみ合わせて手を清めることをいい、茶入れなどの大切な道具を扱う前に手を清める心でするのだといいました。利休もなるほどと感服し、こうした故実はよくよく知っておかなければならないと南坊宗啓に語りました。

修験道は密教や日本古来の古来の山岳信仰などが融合して形成されたものです。そこには日本人が古来大切にした心・内面の曇りが無く穢れのない「清浄」という信仰が根幹にあります。わび茶はその「清浄」を尊重し、それを利休は「美」の概念の一つに高めています。その具体的なものが木地や青竹など一度きりで二度使うことのない道具を、茶碗を拭うのに使う麻の布で作られた茶巾に「清浄」の美を表現しています。『南方録』のこの一文から、わび茶では客だけでなく亭主も自ら清めて茶を点てることがとても肝要としていたことがわかります。


笑嶺宗訢( しょうれいそうきん)は伊予(愛媛県)出身で、俗姓は高田。号は喝雲叟、正親町天皇から祖心本光禅師の諡号を授けられています。南宗寺の大林宗套(だいりんそうとう)に師事してその法を嗣ぎます。大徳寺107世で南宗寺2世、そして三好義継の帰依を受けて父の三好長慶の菩提を弔うために大徳寺内の聚光院の開山となりました。天正10年(1582)に織田信長が本能寺の変で没し、柴田勝家と羽柴秀吉により別々に葬儀が行われ、秀吉の主導した大徳寺での葬儀の導師をつとめています。そして信長の菩提寺である総見院の開山古渓宗陳はは笑嶺の法嗣にあたります。他の法嗣に宗旦が参禅した三玄院の春屋宗園や仙嶽宗洞・一凍紹滴などがいます。天正11年(1583)11月29日に79歳で南宗寺で遷化します。その辞世の偈は、 喝雲呵雨 七十九年 斬却魔佛 吹毛靠天

平成30年11月29日、笑嶺宗訢436回忌の聚光院の開祖忌に参列しました。







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