• 木津宗詮

茶の徳

 一指斎が認めた「茶十徳」です。



諸佛加護   五臓調和 孝養父母   煩悩消除 寿命長遠   睡眠自除 息災延命   天神随心 諸天加護   臨終不乱               依求                   一指斎書                               (花押) 「茶十徳」は、鎌倉初期に中国・南宋から新たに茶種と禅院茶礼をわが国に伝えたとされる栄西禅師から茶種を譲られて、京都栂尾の地で茶を栽培した明恵上人の語と伝えられています。



 茶の徳とは、諸佛の加護を得て、茶に含まれるタンニンやアミノ酸等が体のバランス維持して五臓を調和させます。その深い味わいは人の心を素直なものにして父母への孝養の心を育みます。また、わずらわしい世事の疲れを忘れさせ、日々を健康に過ごさせて寿命を延ばします。そして神経の機能を活発にして睡魔を除き、毎日を元気に暮らすことができます。そして茶を飲むと無心で純真な心、すなわち神の心に叶う心境となり、神仏に護られて穏やかに臨終を迎えることができるということです。

栄西禅師は二度にわたり南宋に留学しました。1回目は新たに天台と密教を学び、天台教学の新たな注釈書を持ち帰りました。10年後、再び入宋し天童山や天台山などの禅林を訪ね、臨済禅をわが国に伝え、博多に日本で最初の本格的な禅寺である聖福寺、鎌倉に寿福寺を建立しました。そして源頼家の帰依により京に建仁寺を創建して天台・真言・禅の三宗兼学の道場とし禅宗の拡大に努めました。

栄西禅師は茶の種三粒とも五粒ともいわれていますが、「漢柿形茶壺(あやのかきべたのちゃつぼ)」に入れて明恵上人に贈り、上人は高山寺の向かいの清滝川の東対岸の深瀬三本木に茶を植えました。深瀬三本木の茶園は現在残っていませんが、大正時代に山に散在していた茶樹をここに集め、かつて僧房の十無尽院が建っていた場所に作られたのが現在の栂尾茶園です。「日本最古之茶園」の石碑が立っています。



中世、栂尾茶はその質の高さから「本茶」と呼ばれました。また、栂尾茶以外の茶を「非茶」と呼び、本茶・非茶を飲み当てる遊び「闘茶」が流行しました。なお、昭和11年(1936)11月11日に愈好斎が高山寺で明恵上人に献茶を奉仕しました。その記念にこの茶入の写しを膳所焼で作っています。







明恵上人はこの栂尾茶を宇治に伝えました。上人をから茶の種を与えられた宇治の里人が、どのような間隔で種を播いたらよいのか悩んでいました。そこで上人は宇治五ケ荘大和田の畑に馬を乗り入れ、馬の蹄の跡に植えるよう教えたと伝えられています。その茶園が駒蹄影園(こまのあしかげえん)で、その顕彰碑が黄檗宗の本山萬福寺の総門前に建てられています。駒蹄影園碑には、


栂山の尾上の茶の木分け植ゑてあとぞ生ふべし駒の足影  の和歌が刻まれています。この駒蹄影園が宇治茶のはじまりとされています。のちに足利義満が宇治茶の栽培をするために「宇治七名園」と呼ばれる七つの指定茶園を作り、その後、一層茶栽培が盛っとなり今日に至っています。






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