実際に蚊遣火(かやりび)をみたことはありませんが、故冷泉布美子先生が子どものころ、夏になると蓬(よもぎ)や榧(かや)の葉、杉や松の青葉などを火にくべた煙で蚊を追い払う蚊遣火(かやりび)がとても煙たかったとの体験話を伺いました。
『徒然草』の十九段に、
六月(みなづき)の比、あやしき家に夕顔の白く見えて、蚊遣火ふすぶるも、あはれなり。
6月のころ、貧しい家に夕顔が白く咲いて、蚊遣り火がくすぶっているのもしみじみとしている。
かつて行われていた蚊遣火を焚く習慣も蚊取り線香の出現で消えてしまいました。大日本除虫菊株式会社のサイトによると、明治18年(1885)に創業者の上山英一郎が、アメリカから来訪したH・E・アモアより除虫菊(シロバナムシヨケギク)の種苗を手渡され、これを元に線香を製造しました。そして明治23年(1890)、世界初の棒状蚊取り線香を発明し発売しました。明治28年(1895)には英一郎夫人ゆきの体験をもとに渦巻型蚊取線香を着想し試作を開始しました。これが蚊取り線香(除虫線香)「金鳥香」の誕生です。ちなみにその体験とは、ある日ゆきが倉の中でとぐろを巻く蛇を見て驚き、夫の元に駆けつけ告げことだそうです。ちなみにこのデザインにすると、燃焼時間が長くなり、かつかさばらないのでまことに効率のよい蚊取り線香になります。例えば、大日本除虫菊の製品では一巻きの長さが75センチ・重さ13グラムとなっており、約7時間連続使用できるように作られています。これは、人間の睡眠時間に合わせて設定した時間だそうです。そして寝かせた状態で使うので、従来の形状よりも安全に取り扱えるようになりました。
上山英一郎が考案した蚊取り線香は手作業での製造でした。のちに機械生産に移行し、打ち抜き機で製造する際に表裏が判別できるように製造されことになり、蚊取り線香を製造している他の企業は「右巻き」で作りました。それに対し上山の金鳥の蚊取り線香は左巻きにすると決め、今日に至っているそうです。
現在、電子蚊取の普及により、蚊取り線香の役割がどんどん縮小しています。蚊取り線香といえば万古焼の豚をかたどった「蚊取豚」でしたが、その姿もあまり見かけなくなりました。今では夏の風物詩であった蚊取り線香も電子蚊取に取って代わられてしまいました。
子どものころ、わたしの家の蚊取器は苫屋をかたどったものでした。屋根の妻からほのかに煙が出ていました。あの何ともいえない煙の臭いが懐かしいです。
本居宣長の筆になる詠草「蚊遣火」 吹き入るゝ軒の烟のいぶせさに 風もやつるゝ賎が蚊遣火
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