「文道太祖・風月本主」と仰がれる北野天満宮にはかつて連歌会所がありました。宗砌・宗祇をはじめ代々の連歌の宗匠がその会所奉行をつとめ、室町より江戸にかけては盛んに連歌会が行われました。毎月18日には月次会、2月25日の御忌日、6月9日の宮渡祭日、8月4日の例祭日には年中恒例連歌が興業されていました。連歌を道真公に献じてその御心を慰めることを法楽といい、連歌の会所には天神像がかけられました。北野天満宮の法楽は特に「聖廟法楽」と呼ばれ、毎月25日に催されていました。
足利義満は明徳2年(1391)、北野一万句興業をし、永享3年(1431)には足利義教も千句興業を催し、豊臣秀頼も十万句の連歌会を催しています。連歌所は永享のころから会所奉行が置かれ 高山宗砌がこれに当たり、宗匠の号を許されていました。
明治になり連歌所はなくなりますが連歌所の井戸の水は今もこんこんと湧きいでています。
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