釈迦が苦行六年ののち、菩提樹の下で悟りを開いて仏になった故事を記念して行われた「臘八大接心」も今日の明け方の「鶏鳴」を迎え円成です。かつて友人の和尚に「臘八大接心」のことを教えてもらいました。12月1日から8日の早朝までの1週間を一晩とみなし、消灯時間の「解定(かいちん)」の鳴り物が響かず、托鉢も作務もなく、食事をのぞいてぶっとうしで座る続ける。病気や肉親の不幸にも帰省できず、1日に5回も6回も老師の部屋に入って与えられた公案の見解を呈する独参が行われる。まさに「雲水殺し」の峻烈な修行だそうです。
幕末の大徳寺の僧で、大徳寺第429世の明堂宗宣の出山像自画賛です。
弊衣纒痩骨 襄髪覆蒼顔
世上底時節 剛然歓出山
弊衣(へいい)痩骨(そうこつ)に纒(まと)い 髪を襄(はら)い蒼顔を覆う
世上底の時節 剛然と出山を歓ぶ
虚堂禅師の出山像の賛を写しています。粗末な衣をやせ細った体にまとい、髪の毛は脇にはらいのけて衰えた青い顔を覆っている。今まさに俗世間に出る時である。今はただ出山を歓んでいる。
仏教の祖である釈迦は29歳で出家し、山に篭もって6年間の苦行の後、難行・苦行では悟りが得られず、山を出て直ちにガンジス川流域のブッダガーヤの菩提樹の下で瞑想し、明けの明星を一見した瞬間、悟りを開き仏陀(悟りを得た者)となりました。これを「成道」といいます。今日12月8日ががまさにその成道の日です。
明堂のこの図は悟りを得ることができず山から出てきたときの釈迦の姿でありながらまことに円満で柔和な顔をしています。「出山」とは清浄な悟りの世界に安住することなく、迷いの世界に出て、世の人々を救済するという決意を表現した姿でもあります。背後には仏の象徴というべき後光が描かれています。これは確かに仏になるということを表しているのです。
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