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執筆者の写真木津宗詮

出谷

出谷 (花押)


丙子聖廟献茶記念 守


竹茶杓 出谷  

      梅二十五本ノ内


愈好斎が豊公北野大茶湯三百五十年の記念に北野天満宮に奉納した献茶道具の茶杓の写しで、銘「出谷」です。裏面は朱漆に梅の蒔絵が施され、御祭神菅原道真公にちなみ「梅二十五本」のうちの一本です。それぞれ梅に関する銘がつけられています。銘の「出谷」は、菅原道真公の漢詩「早春内宴侍清涼殿同賦鶯出谷」です。


鶯児不敢被人聞 出谷来時過妙文

新路如今穿宿雪 旧巣為後属春雲

管絃声裏啼求友 羅綺花間入得群

恰似明王招隠処 荷衣黄壞応玄纁


鶯児(おうじ) 敢へて人に聞かしめず

谷を出でて来たる時妙文(みょうもん)に過ぎたり

新路(しんろ)は如今(いま)宿(のこん)の雪を穿(うが)つ

旧巣(きゅうそう)は為後(こののち)春の雲に属(あつら)ふ

管絃(かんんげん)の声の裏(うち)啼きて友を求む

羅綺(らき)の花の間入りて群(むれ)を得たり

恰(あたか)も似たり明王の隠(いん)を招く処(ところ)

荷衣(かい)黄に壊(やぶ)れて応(まさ)に玄纁 (げんくん)になりぬべし


鶯の子は人に声を聞かさない。しかし谷を出て来る時、その声は妙なる経を読む声にもまさる。通じたばかりの道はいまだに残雪が深い。古巣は谷にたなびく春の霞にまかせてゆく。都へ出ると美しい管弦の声にまぎれて啼いて友を求める。舞妓の花やかな衣裳の間に入って、仲間になる。ちょうど明君が隠士を招いた宴のようだ。地味な衣装は黄ばんで古びてしまい、引出物の黒をおびた緋色の衣にぴったりだ。


「梅に鶯」の言葉の通り、古くから梅は鶯と格別縁の深い鳥で、和歌や文学に盛んに取り上げられています。鶯が谷から出てくるというものに、


鶯の谷よりいづる声なくは

春来ることを誰か知らまし


があります。平安時代の歌人大江千里が詠んだ和歌があります。鶯が谷から出て囀る声がなければ、春が来たことを誰が知ろうか。もしこの声がなかったなら春をどうして実感できただろうかという思いの歌です。昔の人は、鶯は冬の間谷に潜み、春の訪れと共に里に出て来ると考えました。また中国の古典『詩経』小雅の伐木(ばつぼく)に、


木を伐(き)ること丁丁(とうとう)たり、鳥鳴くこと嚶嚶(おうおう)たり、幽谷(ゆうこく)より出でて、喬木(きようぼく)に遷(うつ)る


というくだりがあります。ここに詠まれている「鳥」は鶯とされています。そうしたことから「出谷黄鶯(谷を出ずる黄鶯)」という言葉もあります。春、低い谷間から鶯が出てきて高い木に移って鳴くことをいうそうです。

このように梅と鶯の取り合わせは中国にその淵源があるのかもしれません。日本でも花札でお馴染みで広く行き渡っています。ちなみに実際は梅に鶯ではなく、梅にメジロのようですが…


花札の梅に鶯

ウグイ

梅にメジロ



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