大徳寺門前の一久は室町時代、文明年間から五百有余年にわたり大徳寺の料理方として出入りの業者です。大徳寺精進料理と大徳寺納豆、大徳寺麩、そして大徳寺という名称の商標登録を一久がしています。出入業者でありながら大徳寺という名称を登録するのはどういうことかと不思議に思っていました。一久の主人にそのことを尋ねたところ、今から60年ほど前に先代の主人が、当時、大徳寺の管長だった後藤瑞巌老師に、大徳寺という名称は誰もが大徳寺のものだとわかっていることだが、本人の知らないところで商標登録する悪い奴がいるから、一久お前が大徳寺の名称を登録するようにと依頼されて今日に至っているとのことです。一久は創業以来、大徳寺とともに歩んできました。その料理は一子相伝です。
利休さんの茶席「不審庵」は代々表千家で継承され、茶席の名称だけでなく、家そのものを表す語であるとともに、代々の家元自身を表す語として用いられてきました。ちなみに裏千家は宗旦さんが建てた茶席「今日庵」、武者小路千家は一翁さんが建てた「官休庵」です。現在、表千家は「不審菴」と表記しています。昔は「菴」でなく「庵」を使ってます。以前ある方からうかがった話ですが、これは宗徧流の家元が「不審庵」もいう名称を「庵」で商標登録したからなのだそうです。表千家が「不審庵」を使用すると使用料をはらわなければなりません。それとも宗徧流の家元に使用を認めてもらうかだそうです。なんか矛盾しています。とてもビックリする話です!ちなみに、宗徧流は初代の山田宗徧が利休さんの孫の宗旦さんの四天王の一人で、江戸に千家の茶の湯を広めに下るのにあたり箔をつけるために、「不審庵」と「今日庵」の号を特に使うことを許したことにはじまり、今日も不審庵を名乗っているのです。
ちなみに、虎屋の羊羹の「夜の梅」は虎屋の商標だそうで、煉羊羹を考案した総本家駿河屋だけはそれを尊重して使用料なしで特に使用が認められているとのことです。
一子相伝、五百有余年仕えてきた信頼はすごいです!
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