因縁

文化12年(1815)、初代松斎宗詮は名古屋で住宅・茶室の建築に携わり、同地の材木商鈴木惣兵衛(材惣5代目)から材木一式を譲られて大坂梶木町に家を建て武者小路千家の茶の湯の稽古を始めました。後に尾張徳川家の招致により、紀州家の許しを得て、2年にわたり名古屋で武者小路千家の茶の湯の伝播と紀州家の風流を示したと伝えられています。その時に尾張藩士で俳人であった加藤暁䑓の依頼で龍門園に建てた今日庵写しと時入庵を建てています。また藩窯である御深井窯で手造りした織部焼の蓋置があります。




このたび清洲の櫛田利久・有紀子ご夫妻のご案内で、5代目鈴木惣兵衛の子孫である12代鈴木龍一郎氏のお宅を訪問し、木津家にとっての最大の恩人の一人ともいうべき惣兵衛のお位牌にお参りさせていただきました。そして龍一郎ご夫妻から貴重なお話を数々伺いました。その中に龍門園に建てた今日庵写しと時入庵が、三菱UFJ銀行の迎賓館「暮雨巷(ぼうこう)」として現存していることがわかりました。暮雨巷は戦災で焼けて現存していないと思っていただけに新事実に本当に驚きました。松斎の茶室は大坂の平瀬家や奈良県柳生の小山田家、滋賀県水口の山村家などに確認できますがいずれも現存しいていません。木津家にとってはこの上もない貴重な茶室です。早速、父露真にそのことを知らせたところ父も仰天していました。



今回、鈴木氏との橋渡しをしてくださったのが櫛田利久・有紀子ご夫妻は、過日の明治村茶会にお越しくださり、そのご縁で今回の鈴木邸訪問を企画してくださいました。有紀子さんは谷松屋戸田商店の戸田貴士社長のお姉さんの原田裕季子さんと以前から交際があり、昨年上梓した『目利きー戸田露吟覚書』をたくさんに購入してくださったことから明治村茶会で親しくご挨拶くださったとのことです。遡ればすべて松平不昧公の縁で谷松屋5代戸田権兵衛が松斎に茶の湯の入門をし、その後、両家の歴代が縁を重ねてきたことが今日に至りました。そしてその縁が櫛田ご夫妻に広がり、鈴木龍一郎さんまでに繋がったのです。なお、帰宅して暮雨巷についてインターネットで調べたところ、昭和57年(1982)に社中の安井洋之さんのお祖父さんの安井杢工務店が保存・修理をしていたことが判明し、これにもびっくりしました。に本当に縁というものは不思議なものです。この度の縁を結んでくださった櫛田利久・有紀子ご夫妻、まことにご親切に接待してくださった鈴木龍一郎氏ご夫妻には心より感謝申し上げます



仏教に「因縁」という語があります。物事が生じるのは、直接の力である「因」と、それを助ける間接の条件である「縁」があり、すべての物事はこの二つの働きによって起こるという教えです。そうしたことから前世から定まった運命とか宿命とかの意味にもつかわれています。今回の新発見に私はまるでだれかに操られているような気分になりました。松斎が、惣兵衛が見えないところで糸を引いていたのではないかと。まさに「因縁」です。


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