土器

昭和11年(1936)は、豊臣秀吉が天正15年(1587)に「北野大茶湯」を催してから350年にあたり、それを記念して4月1日に大阪城の天臨閣で「豊公北野大茶湯記念茶会」が行われました。



また10月には「豊公北野大茶湯三百五十年記念大茶会(昭和北野大茶湯)」が京都北野天満宮で催され、11日には記念の献茶を武者小路千家12代愈好斎が奉仕しています。愈好斎は大正13年、北野天満宮で初めて献茶を行った折に道具を数点収めていますが、この時新たに献茶道具一式を奉納しました。また同日午後から社務所で「北野大茶湯回顧」という演題で講演を行なっています。北野天満宮では三千家・薮内家・久田家・堀内家の六家が献茶を奉仕し、5日間にわたり各家社中ならびに当時の有力数寄者により協賛の添え釜102席が担当され、延べ1万人ほどが参会する空前絶後の大茶会となりました。この茶会の成功は、茶の湯がいよいよ浸透し、各家元の組織化が十分機能していたことによります。なお、この一環として同年4月、愈好斎は京都醍醐で「豊公の茶」と題してラジオ放送を行なっています。またこの年は、六家が輪番で担当する通常の献茶式の当番の年であり、12月1日に同宮で二度目の献茶奉仕を行っています。



写真の菓子器は、豊公北野大茶湯三百五十年献茶祭で、お供物を載せた土器のお下がりである撤下品です。一指斎も明治14年の献茶祭で用いられた土器を菓子器としています。本来、祭りで用いられる土器は、一度使ったものは再使用せずに砕いて土に返す一回きりのものです。そうしたものでありながらとても薄く轆轤でひかれ、とても端正な形に仕上げられています。かつての職人の技術には本当に驚かされます。





 撤饌土器

    菓子器

丙子聖廟献茶記念 

      愈好斎

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