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執筆者の写真木津宗詮

掃除

 掃除とはごみやほこりを掃いたり払ったりして取り除いてきれいにすることをいいます。  古代中国の春秋戦国時代の斉(せい)の国の宰相であった管仲(かんちゅう)の言葉を後世の学者たちが編纂したとされる『管子(かんし)』という書の中の心について著した心術(しんじゅつ)下の篇に次の一節があります。


  虚其欲、神將入舎。掃除不潔、神乃留處。

  その欲虚しければ、神将舎に入る。掃除(そうじ) 潔(きよ)からざれば、神(し

  ん)乃(すなわ)ち留まり処(お)る。


「神」とは辞書に霊妙な働きをする心とあります。この心があることにより様々なことを推し量ることができるのです。「舎」は軍隊が宿営する場所の意味です。「留処」は住むところを定めるということです。  心が欲にとらわれずに清らかであれば、心の霊妙な働きは舎(軍隊の宿営地)にあり、清らかでなければ住むところを定める。舎は君主(心)の管理下にあり、住むところを定めるのは君主の管理の及ばないところにあって、その霊妙な働きをうまく発揮できないという意味です。道というものは常に自分のすぐ近くにあるのに得ることがまことに難しい。欲を無くして心を外部の物事に左右されないように保つことが大切なのです。理屈ではわかっていてもそれを極めるのはまことに困難なことです。


 江戸時代後期の儒者村瀬栲亭の「掃除不潔神即留処」です。出典は『管子』です。「即」の文字は「乃」と同じ意味です。  今年も余すところ三日となりました。日本中多くの家で大掃除が行われています。私も先日来、年末恒例の掃除を分散して連日夜中にしています。普段なおざりになっている本棚や部屋の細部を徹底的にきれいにしています。生来の横着のために一年のほこりはとんでもないものになっています。それもようやく今夜一応無事に終えることができました。ところが残念なことに今年も心の掃除を終えることができませんでした。来年こそはほんの少しでも心の地理を取り除き。本来生まれながらに備わっている神・心の霊妙な働きを十分に発揮したいと切に願う年の瀬です。

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