今から7年前、50歳の時に半白の連会茶事を黒谷の西翁院「淀看席」で催しました。淀看席は藤村庸軒好みの名席で国の重要文化財の指定をうけています。西翁院の宮川住職の格別のご高配で、初炭から始まり懐石、濃茶、後炭、薄茶とすべてを淀看席でしました。 まことに名誉なことに、大徳寺管長の高田明浦老師がその連会茶事にお祝いにお越しくださいました。当日は老師を正客に相伴にお供の雲水、末客として父徳至斎による会でした。かってない緊張した茶事で、私にとってはこの上もない修行となり、生涯の宝ともいうべきありがたい茶事となりました。 この茶事の記念に私が描いた絵に老師が着賛してくださいました。出典は義堂周信と並んで五山文学の双璧とうたわれた絶海中津の『蕉堅稿』です。
流水寒山路 深雲古寺鐘
流水寒山の路(みち) 深雲(しんうん)古寺の鐘
谷川の水音を耳にしながら、山路を歩いていけば、遠くから寺の鐘が聞こえてくる情景を読んだものです。静かな自然の情景そのものが、ほとけの姿であるという意味も含んでいます。 ちなみに「半白」とは50歳の歳の祝いで、99歳の白寿の半分ということです。また、白髪が半分混じっていることでもあるそうです。 『論語』為政 に、
吾十有五にして学に志し(志学)、三十にして立ち(而立)、四十にして惑わず(不
惑)、五十にして天命を知る(知命)、六十にして耳順(したが)い(耳順)、七十に
して心の欲する所に従いて矩(のり)を踰(こ)えず(従心)
とあります。15歳で学問を志し、30歳になって自信がつき自立できるようになり、40歳になってあれこれ迷わず、50歳になって天命を知り、60歳になって他人の言葉が素直に聞けるようになり、70歳になると思うままに振舞ってそれでも道を外れないようになったという意味です。そこで50歳を知命ともいいます。天命を知るとは、天に与えたれた使命を見極めることです。そして人間の限界を知ることでもあるとされています。 孔子の時代の50歳と今日のように長寿の時代の50歳とは異なりますが、自分に何ができるのか、これからまだ何を成さなければならないのかを考える機会だといえます。 あれから7年、これから何ができるのか。何をなすべきなのか。未だに天命を知ることもできずあがき悶える日々を送っています。
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