江戸時代前期から中期の黄檗僧黄檗百拙元養の一行「茶霢摺転躍楽地」です。社中で信楽の陶芸作家古谷和也さんが新たに作った窯で最初な焼いた蹲花入に椿2輪と白梅を入れました。 黄檗は煎茶との関係が深く、茶の湯、抹茶とはあまり縁がありません。村田珠光が一休和尚に参禅して以来、武野紹鴎、千利休、他の宗匠方が特に大徳寺と深く関わってきました。ただし武者小路千家7代直斎、6代真伯門下の安田是誰が百拙の墨蹟を茶事で使った記録があります。安田是誰は売茶翁と親交がありました。そうしたことから百拙とも接点があったのかもしれません。
茶霢摺転躍楽地 海雲百拙道人(印)
茶霢(ちゃみゃく)摺転(しゅうてん)して楽地に躍る。 「霢」とは小雨とか、霧のような細かい雨のこと。「摺転」は転がる、「楽地」安心の場という意味です。
軽快に茶筅が振られ、細かな美しい泡が起きて美味しいお茶が点てられている様をいっています。出典を調べましたが見つからず、多分、百拙のオリジナルの句だと思います。 茶碗のなかで心地よさそうにお茶が躍っています。自分はそんなお茶を点てることができているのか。技術だけの問題ではない。心が伴って初めてお茶に手足が生えて踊り出す。私はこの句にはそうした教えが込められているのだと解釈しています。


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