油筒
裏千家又玅斎在判になる竹油筒花入です。月釜など他流の方が来られる茶会では、普段から他の千家ゆかりの道具を取り合わせるようにしています。私もまっく知らない道具ばかりでなく、自分の流儀のものが使われているとなにかホッとします。だから手元にふさわしいものがあれば使うようにしています。
先日の水瀬神宮月釜は節分釜の趣向で道具組みをしました。神さんに上げる燈明の油を入れる筒ということで、この花入に花を入れました。当日、竹器師の黒田宗傳さんがお客できてくれました。そしてこの花入をかつて作ったことがあり、山崎宗鑑の油筒を模した花入で、「妙喜庵名物」として伝来していること教えてもらいました。
山崎宗鑑は、室町時代中期から後期にかけての連歌師で、将軍足利義尚に仕え、義尚没後、山崎に隠棲し、その庵を寺に改めたのが今日の妙喜庵とされています。宗鑑は、書の揮毫や連歌の指導をし、また油を担って京都に出て油を売ったと伝えられています。
なお、又玅斎は隠居後、妙喜庵に移り、一時期暮らしていました。そうしたことから妙喜庵名物の油筒花入を作り、書付けしたのではないかと思います。
今回の月釜では私が案内した人は、水瀬神宮の茶席と妙喜庵の見学を併せてさせてもらいました。この花入の由緒をまったく知らず使ったのですが、不思議な縁で繋がっていたことにとても驚きました。



