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法楽

大阪府島本町の水無瀬神宮は、承久の乱に敗れて隠岐に流された後鳥羽天皇の離宮水無瀬殿の跡に建立された神社です。隠岐で崩御した後鳥羽上皇の遺勅に基づき、水無瀬信成・親成親子が離宮の旧跡に御影堂を建立し、上皇を祀ったことに始まります。仏式で祀られていましたが明治になり神式に改められて水無瀨宮に改称し、後鳥羽天皇と同じく承久の乱により配流されてそこで崩御した土御門天皇・順徳天皇の神霊を配流地から迎えて合祀して今日にいたっています。


         光成

水無瀬宮御法楽

 遠近

  千鳥

へたつれとをのか友よふ

聲しるやまちかき千鳥

なきあわすなり

霜むすひかせ冴るよハ

うらつたひ千鳥友よふ

遠近のこゑ



和歌では千鳥は冬の鳥として詠まれます。「友呼ぶ」「通う千鳥」「妻こひ」「氷る汀」「夜を寒み」と。なお、千鳥の鳴き声を「八千代」となっていて、「君の八千代を」と天皇の御代を言祝ぐ歌にもしばしば用いられています。

この軸は広橋光成が天明二年の水無瀬宮御法楽で詠んだ和歌詠草です。一首目の和歌が優れていて、右肩に「合点」がうたれていて、光成はこの歌を奉書に清書して納めています。なお、合点は「合点がいく」の合点の語源です。

広橋光成は幕末の公家で条約勅許問題では朝幕間の調停に努め、和宮降嫁に尽力しています。

水無瀬宮御法楽とは2月22日に宮中で催されていた和歌会です。法楽とは仏の教えを信じ行うことによってえられる喜び、楽しみを意味する仏教用語で、のちに神仏を喜ばせる行為として読経や奏楽、和歌、連歌などを奉納することを法楽と呼ぶようになりました。

水無瀬宮御法楽は和歌には格別造詣の深く、『新古今和歌集』の撰進をさせた後鳥羽上皇の御心をさぞかし楽しませたことでしょう。

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