• 木津宗詮

湯桶

 湯桶とは寒中湯を入れて蹲踞の湯桶石にのせる桶のことです。利休形は曲げの杉木地で、上部に弓なりの手を付け桶の上部を桜の皮で巻いて取り付け、蓋は割蓋で桶の底に四つ足がついたものです。

 あらかじめ適温にした湯を湯桶に張り、迎付に出た時、蹲踞の水鉢の水を改めると給水口から湯桶を持ち出し、役石のひとつである湯桶石の上に置きます。

 流儀によりその使い方に若干の差があります。武者小路千家では蹲踞の水鉢に向かいその右側の湯桶石に置かれ、席入りにあたり、まず、水鉢の水を柄杓で汲み両手を清め、次に柄杓を左手に持たせて右手で湯桶の手前の蓋を上部の手にも立てかけて向こう側の蓋に置きます。そして柄杓を右の手に持ち替え湯を汲み、人差し指を柄杓の合の中の湯に少し入れて湯の温度を確認します。もし熱すぎるようるようなら水鉢の水を足して適温にしてから左手のひらに湯を受けて口を嗽ぎ、両手で柄杓を立てて残りの湯で柄杓の柄を清め、水鉢の上に手なりに置きます。口のみ湯を用いるのは冷たい水で口中が痺れて濃茶の真の味がわからなくなることを防ぐためです。そして最初の通り湯桶の蓋を閉めて手を拭って席入りをします。湯桶の蓋は湯が冷めないようにその都度閉めることになっています。

 裏千家は基本的に武者小路千家の扱いと同じで、ただし、手も口も湯を用います。表千家も裏千家同様で手も口も湯を用い、基本的には老人が用いることが多いようです。なお、蓋の開け閉めは最初に正客が蓋を開け、次客以下は蓋の開けられたままの湯桶の湯を用い、最後に末客が蓋を閉めます。

 湯桶の置く位置は武者小路千家路千家と表千家は右側。裏千家は左側となっています。蹲踞の役石が左右逆になっていることによります。なお、湯桶石の反対側が手燭石となります。一般的に湯桶石は上部が平面の景色のある石が用いられ、手燭石より一寸ほど低く据えられます。

 なお、宗旦四天王のひとりである杉木普斎は、その『普斎自筆之書』 聞書寄の中に、


 寒天ノ時分ナト、老人病後人なと茶湯に来ラハ大

 口ニ湯ヲ出スヘシ、大カイ(大概)水ニテクルシ

 カラス、湯ハヌルクミエテヨロシカラス、客にヨ

 リテノコゝロツケタルヘシ、若輩者ナトハタトヒ

 湯アリトモ水ニテ手水幾度ナリトモイタスヘシ


さすが生涯利休流の茶の湯を主張し宣揚した普斎です。「湯ハヌルクミエテヨロシカラス」とあり、また「若輩者ナトハタトヒ湯アリトモ水ニテ手水幾度ナリトモイタスヘシ」と主張しています。普斎の茶の湯に対する厳しい姿勢を見ることができます。まさに普斎の真骨頂ともいうべき一文です。








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