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執筆者の写真木津宗詮

源融

陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑに

乱れそめにしわれならなくに

            河原左大臣


『小倉百人一首』の源融の和歌です。

源融は嵯峨天皇の第十二皇子で、紫式部『源氏物語』の主人公光源氏の実在モデルとされ、融神社は融ゆかりの神社です。

しのぶもぢずりとは、現在の福島県信夫地方で作られていた、乱れ模様の摺り衣(すりごろも)のことです。摺り衣とは、忍草(しのぶぐさ)の汁を模様のある石の上にかぶせた布に擦りつけて染める方法で「しのぶずり」ともよぼれます。陸奥で織られる「しのぶもじずり」の摺り衣の模様のように、乱れる私の心。いったい誰のせいでしょう。私のせいではないのに。すべてあなたのせいですよ。といった歌です。

融は陸奥国塩釜の風景を模して作庭した六条河原院(現、東本願寺渉成園)を造営したとされています。世阿弥作の能『融』では、六条河原院の塩釜を模すための塩は、難波の海(大阪湾)の汐を汲んで運ばれたとあります。そのため、先日紹介した尼崎の琴浦神社は、源融が汐を汲んだ故地として同社の御祭神は源融です。嵯峨の別邸栖霞観は、現在のの嵯峨釈迦堂清凉寺、宇治の別邸はのちに平等院となったとされています。


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