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執筆者の写真木津宗詮

神話

むかいしの端午の節句には、神功(じんくう)皇后の三韓征伐(さんかんせいばつ)や楠木正成などの勇ましい武人の絵や人形を飾り、子どもの健やかな成長と、またその徳にあやかり立派な大人になって欲しいとの親の願いが込められて飾られました。まさに万国共通の民族を問わぬ「親心」です。

三韓征伐は神功皇后が新羅(しらぎ)出兵を行い、朝鮮半島の広い地域を服属下においたとされる戦争を指します。神功皇后は、仲哀(ちゅうあい)天皇の后で応神(おうじん)天皇の母にあたります。朝鮮や中国の歴史書にも関連すると思われる記事があります。新羅が降伏した後、三韓の残りの百済(くだら)、高句麗(こうくり)も相次いで日本の支配下に入ったとされるためこの名で呼ばれるています。また三韓とは馬韓(ばかん)・弁韓(べんかん・後の任那・みまな・加羅・から)・辰韓(しんかん)を示し高句麗を含まない朝鮮半島南部のみの征服とも考えられています。

西日本には生田神社や御香宮神社など神功皇后所縁の神社がたくさんにあります。神功皇后は、かつては紙幣になったり端午の節句の人形だったりしていたのにいつの間にか消えてしまいました。大東亜戦争の敗北で、それまでの天皇中心の国家観に対し、左翼学者が、特に記紀に記されたことに対する激しい反発がおこりました。その上、記紀神話も疑問視され、神武天皇の存在さえも否定されることが多々あります。記紀神話を語ると、戦前の軍国主義に逆戻りするという支離滅裂な非難があります。神功皇后についてはその存在すら否定する向きもあり、神功皇后を架空の人物とする流れにあるそうです。

ただし、神功皇后の三韓征伐については、朝鮮の「好太王(.こうたいおう)の碑文」にも同じと思われることが書かれています。だから神功皇后に相当する人物は確かに実在していたのです。

学生時代に神話学を学びました。神話学では神話・昔話は100パーセント架空の話しではないと。必ずその下地になった出来事やそこに込められた昔の人のなんらかの意図や思いがあったのは間違いのないことです。すべてが創作というのは誤りだと思います。

常々、私は日本の神話をすべて否定するのにとても違和感を持っています。ユダヤの人たちは自分たちの民族が選ばれた民である信じています。韓国では天神桓因(こういん)の子桓雄(こうゆう)と熊との間に生まれた檀君(だんくん)を朝鮮民族の始祖として崇拝しています。そして韓国ではこの檀君神話が教科書にも載っています。いずれの民族でも国家でも神話を大切にするのは自由だと思います。それぞれの国が誇りに思うことが、決して科学的なことでなくとも、それが民族内のプライドであり、アイデンティティであり紐帯となるなら、たとえ神話であっても何の問題もないと考えます。ただし他国の人に強要することは決してあってはならないことです。逆に他国にとやかくいわれる筋合いのものでもありません。自らを誇らしいい民族であると思うことこそ大事であり、卑下することは最低だと思います。だからお互いに他国の人が思うことに一切干渉しないことが大切だと思います。

中島来章・岸連山・牧楚山合作になる「三韓征伐図」です。神功皇后を描いた中島来章は、幕末・明治の円山派の画家で「平安四名家」といわれた横山清暉・岸連山・塩川文麟の一人です。そして幸野楳嶺・川端玉章らはその門人です。武内宿禰(たけのうちすくね)は幕末の岸派の絵師岸連山 (きし れんざん)です。「応神天皇』は江戸後期の絵師で円山応震の門下の牧楚山(まきそざん)です。


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